福島県浜通り地域と共に歩む今と未来 - ふくしま復興・振興に向けて -

あしあと

被災地での土壌調査へ

2011年3月11日東北地方を日本国内観測史上最大の地震が襲いました。地震やそれに伴う津波は、それ自体が大きな被害をもたらしただけでなく、東京電力福島第一原子力発電所の電源を喪失させ、放射性物質の漏えいを伴う重大な原子力事故に発展しました。  大阪大学では核物理研究センターの研究者たちが中心となり放射線の専門知識を持つ全国の研究者たちとともに立ち上がり、汚染された土壌の放射線量の測定を開始しました。住民たちの影響評価をするにも、今後の復興の計画を立てるにも、さらにはこういった災害の記録を残すという意味でも必要かつ重要なことと考えたからです。半減期のある放射線は時々刻々と失われていくため正確な情報を得るためにはいち早く取り掛からねばならないというあせりと、力になりたいという強い思いが大学を動かし、最終的には国を動かし、全国97の教育・研究機関、民間企業の400人を超える研究者を動員する一大「土壌調査プロジェクト」が行われました。

福島県飯舘村環境放射線研修会発足

その後、環境放射能の測定は国や自治体によってなされるようになったため、私たちの研究は、除染されていない山林での放射性物質の動態の研究に移行しました。放射性物質が環境内でどのように循環するのか(あるいはしないのか)を理解することは復興を考える上での基礎となります。私たちはこの研究を大学生とともに行うことにしました。福島の環境放射線のことを考えることは、研究だけでなく教育のテーマとしても重要で、福島について自分で見聞きし、感じ、考える学習の機会を提供したいと考えたからです。こうして2016年に「福島県浜通り環境放射線研修会」の前身である飯館村環境放射線研修が始まりました。

福島県浜通り環境放射線研修会の発展

有志からスタートした研修会ですが、学生からの反響が大きく、研修の規模は年を追うごとに大きくなっていきました。震災からの経過とともに事故当時の年齢が低年齢化し、興味を持つ学生が減っていくのではないかと思われましたが、そのようなことはありませんでした。東日本大震災、とりわけ福島第一原子力発電所の事故に関心を持つ学生は潜在的に少なくなかったのです。年々、参加希望人数が増えていったため、研修地として福島第一原発の立地する大熊町にも協力していただいたり、研修の回数を2回に増やしたりすることになりました。参加大学も11大学に増えました。研修を経験した学生が次の学年の指導をするチューター制度や、地元の方々との交流会、福島第一原発の視察など内容面でも充実してきました。それに呼応して、より多角的な分野を取り入れ、社会との共創で問題解決にあたることのできる人材の育成を目指したプログラムとして、「共創的放射線教育プログラムCo-creative Radiation Education Programme(CREPE) 」を開設しました。 

福島県浜通り地域との協力体制

この間に、大阪大学は福島県飯舘村(2017.8.8)、大熊町(2021.6.4)と連携協定を結び、福島の復興をモデルケースとして、これからの日本を担う次世代を育てていくという目標にむかって協力していくことを確認しました。 
自然豊かな福島県で地域特産化を図ろうとしている天蚕を利用して環境放射線の動態の研究を開始したり、研修で採取した資料の放射能測定を学会で発表したりするなど、活動のすそ野が広がっています。学生たちも積極的で、自主的にサークルを立ち上げ研修で考えた「自分たちにできること」を実際に実行する活動を2021年より開始しました。サークルの名前は浜通りと東北弁のまでい(丁寧に、といった意味)とを合わせて「はまでいず」だそうです。はまでいずでは、これまでに「大熊町環境情報サイネージ」の執筆協力、飯舘村役場と協力して学園祭で飯舘村物産販売などの活動をしています。 

本研修プログラムの歴史
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