2007年10月3日Finland, Jyväskyläの GALLERIA HARMONIAでTumas Hallivuonという版画家の個展のオープニング にJyväskyläで活動する日本人版画家さんからの招待を受け、行ってきた。オープニングの後、 石山さんと興味 深い話で盛り上がる事ができた。以下はその概要である。
話の中身にタイトルをつけるとすれば”芸術と物理学の共通点と違い”と題するべきだろうか?
芸術と物理学、これほどかけ離れたものは無いように感じる人もいるかもしれない。
しかし話しているうちに基本的にはあまり芸術家と物理学者の作業にはあまり差はなく、では どこに違いがあるのだろう?という話の展開になった。結論は非常に面白い結論だった。
最初、石山さんに僕は”版画で『新しい』とは何ですか?”という素人質問をぶつけてみた。 石山さんによると一言では言えないという。芸術を生み出す際には、その発展と共に様々な 技法、表現が生み出される。しかし、技法が新しければ、即座に良いというものではないらし い。結局、今まで過去に誰かが描いたことのあるようなものを新たな技法を用いたところで、 結局、その作品の根底にあるものは過去のほかの作品と余り変わらない。つまり新しくない、 ということになるというわけである。新しい技法を取り入れた作品を見たとき、最初は斬新に 見えても数日見ているうちに作品の本質が見えてくるという。そしてその根底が新しいもの こそ本当に”新しい”のだと石山さんは言う。
(故 山田将司 氏の作品)
作品の”根底”とはなかなか抽象的な表現でわ かりにくいが、例えば根底にその作者の個性が現れていれば、良し悪しは別として新しいと いう。だから古い技法を用いている作家でも新しくて斬新というのはありえるのだそうだ。 はっきりとはわからないが、一方でなんとなくわかるような気がした。
ではどうやって新しいものを求めるのか?僕はそう単刀直入に聞いてみた。 ”新しい技法を取り入れる前にまず今までの技法でどんな表現が可能なのか突き詰めるこ とを繰り返し、未知なる表現への外堀を埋めていって、そして少しでも未知なる表現に踏み 入る事が出来たとき、その時、新しいものができたと言えるのです” という答えが返ってきた。こうも言っていた。 ”よく芸術家はインスピレーションで仕事をしていると思われがち。しかし、僕はそれはほぼ ありえないと思ってる。何故なら人間は自身が経験してないものを想像することはできない。 人が想像する事は必ずその人の経験に基づいてる。夢だってどんな変な見たことないよう な夢を見た場合だって、よくたどっていくと過去の経験の組み合わせで見たものであるは ず。だから芸術かも新しいものの創造には既存の技法による経験を積み重ねていくしかな いのです。よく自分は絵を描くのが下手だから、と言って描けない人がいるが、芸術家だっ て普通の人と何ら変わらない。違うのは技法を勉強したから多く知ってる事と経験をたくさ んつんでいる事です。絵が上手くなきゃいけないってのはイラストレーター。”
石山さんの話を聞くと、なんだか僕は物理と芸術は非常によく似てると思ってきてやまなか った。物理学も既存の考え、手法で様々なことを調べ、結果を積み重ね、突き詰めてゆく。 ただ筆や絵の具の代わりに数式やコンピュータを用いるだけだ。アインシュタインだって、 ニュートン力学や電磁気を自分なりに消化し、理解を深め、理論の再構築作業を丁寧に 行った結果、生まれたのが相対性理論。別にいきなり思いついたわけじゃない。僕が日々 やっていることも同じような計算の繰り返し。チェックの繰り返し。ある意味単純作業の繰り 返し。その中から少しでも改良、改善の余地が見つかったら試してみる。
そして新たな事が わかったらどんなささやかな発見でも新発見は新発見。その積み重ね。 その新発見が他の人の研究に役に立ち、自分しか知らない内容であれば論文にする価 値がでてくる。他の人も容易に気がつくような内容であれば論文にする価値はない。 いわゆる世紀の大発見というやつの多くもこのような愚直な作業の繰り返しで生まれてい る。科学者も天才的なインスピレーションとやらで楽に世紀の発見など出来た人はほとん どいないだろう。なので、世間で言われているような”天才”というのはこの世にはいないと 僕は思っている。ただ、実際に世紀の大発見をするような偉大な科学者と凡人の違いは 愚直な作業を積み重ねる上で必要とされるアイデアの引き出しが多い事。アイデアが多 ければ多いほど積み重ねられる量は多くなる。但し、やってる事は皆同じである。
物理学もまさしくわかっていることの外堀を埋めていって、わからない部分に迫る作業で ある。このように考えると手法、技法が違うだけで芸術と物理学は何ら違いがない。
”じゃぁ、芸術と物理学の違いって何だろうねぇ?”
こんな感じで話を進めていたら、芸術と物理学の違いについての議論(対談)に発展した。 以下に対談の概要(記憶をたどってこんな感じだったと思う)をのせます。
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僕:”創造するものに個性や感情が入るかどうかの違いですかね?”
僕はそう石山さんに問いかけてみた。すると
石山:”いや、芸術も突き詰める作業の時はなるべく客観的にならないといけない。個性を求
め始めると収集がつかなくなってただの自己満足。ただの自分表現になってしまってそれは
芸術の新しいさを求める事とは別物になってしまう”
僕:”あれ、でもさっき個性が『新しい』って”
石山:”外堀を埋める作業を客観的な立場から埋めていってベースを固めて、その上で未知
なるものを求めたときに、結果としてそれが個性を反映させたものならばそれはいい。”
僕:”物理学の結果には個性や感情は入らないですよ”
石山:”でも自然界の未知なる部分を解き明かしたらそれは時として人の感情を揺り動かすも
のじゃないの?”
僕:”そうなると新興宗教ですね。”
石山:”ん〜、でも世界観とか価値観とかに長い年月かけて人に影響を与える事に間違いは
ないと思うけどなぁ”
僕:”では、芸術を人が見て、どう理解するものなんですか?”
石山:”眺めてるうちに自己の経験と結びついて何か感じるものがあったら、それは共感だね。
それがなかったら芸術作品なんてものはさっぱりわからないだろうね。よく芸術は難しいといわ
れるのは共感する時に自分の経験と照らし合わせて『理解』しようとするから。”
僕:”そこも物理学と似てますね。ただ物理学の結果を『理解』しようとするためには経験の前に
数学を勉強しなければいけませんが。それから個人の人生経験は『理解する』のに必要としな
い。あくまで客観的に自然を眺めた経験が必要なだけです”
石山:”そこかな?芸術作品への共感には個々の『自己』と照らし合わせて理解する。一方で
物理は対象に『人』は入ってこない。客観的に自然を眺めてるわけだから”
僕:”そうかもしれないですね。”
石山:”非常に面白いね。こういう観点をテーマに作品を作っても面白いかもしれないな。
今度もっと物理の話聞かせてよ。突き詰めていって、科学と芸術が決裂してしまうものなの
か、融合できるものなのか、そのあたり考えてみるのも面白い。そのへん、うまくいったら共
同製作って形でやってみない?”
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今後、石山氏とこんな話をする交流が続いたら石山氏と僕の共同制作という形の版画が
世にでることになるかもしれませんw。
おおよそ2時間半にわたるお話でしたが非常に面白かったです。
※石山直司
フィンランド、ユヴァスキュラを拠点にして活動する日本人版画家。
HP:
http://www.kolumbus.fi/naoji/index.htm